保生大帝 祈って健康
民間信仰の中で保生大帝は各家庭のかかりつけ医であるかのように、信者の身体が健康でいられるよう面倒を見てくださり、信じる者の病を治し、人を慈しみ、心温かく、更に医術にたけていらっしゃいます。郷土史に、宋仁宗年の間、保生大帝呉真人は天兵、天将を派遣し、法力(法術)を使い、福建の漳州、泉州一体において干ばつや飢餓に苦しむ人々を救ったことから、その神としての功績が広く伝わってきたと記載されていたことがあります。現在にいたってもなお保生大帝は多くの薬材店、中国医学の医者たちが祀り、参拝しています。
文献の記載によると、保生大帝の姓は呉、名は夲(とう)、北宋時代の閩南人。言い伝えによると、保生大帝の母は夢の中で、一匹の白い亀を飲み込んだことから、身ごもったとされています。また、彼女が分娩中、突然太白星君、北斗星君、そして南陵の使者とともに1人の子供を彼女の部屋まで連れてきたのを見て、さらに「この子は紫微星です」と彼女は言われたそうです。ここもからわかるように、伝統的な信仰の中で、保生大帝は紫微星が生まれ変わりの神様のはずだとして、信仰されています。
保生大帝が在世の時は書を読んだり、詩を詠んだりすることに勤しんでいただけでなく、高明な医術も習得されました。伝説によると、西王母から妖怪を斬り、悪魔を排除する道術を授かったことがあると言われていますが、彼は一生人々の健康と幸福の為に邁進し、人々から慕われていました。保生大帝は薬草を採りにいっている際に足を滑らせ谷間に落ちて亡くなったことから、彼の功績をたたえ、青礁の龍湫坑畔に「龍湫庵」を建て、彼を祀り、「医霊真人」と名付けました。
保生大帝の高明な医術に関する伝説として、民間で最も有名なのは「医虎喉」です。呉夲が山で薬草を摘んでいた際、一匹の虎に遭遇しました。その虎は飲み込んだ人の骨を喉に詰まらせ、苦しんでいました。その時の呉夲は虎は悪さをしたのだから当然の報いと思いましたが、良心が痛み、最終的には符水(符を入れた水)で骨を溶かし、その虎を救ったそうです。その虎は助けてもらったお礼に呉夲の坐騎になったとされています。現在、保生大帝が祀られている寺や廟へ行くとみることができる「虎爺」はその時の虎だそうです。
何を準備し、いつ拝めばいいのか?
お供え物:
熟した五牲、清茶3杯(小さいカップ)、お酒3~5杯、紅亀粿、發粿、麺線(普段のお参りでは果物、菓子で良い)、元寶燈、金紙4種(天尺金、壽金、刈金、福金)
時間:
保生大帝が生誕されたのは旧暦3月15日であることから、この日は現地の
保生大帝廟へ行き、盛会に参加し、保生大帝に家族の健康と平安を祈願すると良いでしょう。
台湾の民間で伝えられている「大道公風、媽祖婆雨」は保生大帝と媽祖さまの間にあったご縁の事を語っています。もともと意気投合していた保生大帝と媽祖さまはとても仲良しでしたが、ある日、妊婦が子を産む際苦しんでいるのを見て、自分にはそういう日が来てほしくないと思ったことから、直ちに保生大帝を捨てることに決めたそうです。
なぜか突然失恋した保生大帝の心は痛み、無情な媽祖さまに仕返しをするため、毎年媽祖さまが誕生日の巡礼に出る際(旧暦3月23日)、保生大帝はわざと大雨を降らせ、媽祖さまのお顔の化粧が取れてしまい、面目が潰れるようにしているといいます。もちろんこれに怒った媽祖さまは、保生大帝が誕生日の巡礼に出る時(旧暦3月15日)保生大帝の頭上にある帽子が吹き飛ばされてしまうほどの大風を吹かせるといわれています。もしこの2日とも雨風がなければ、その年はこの二人が和解したと信者は信じているそうです。
参拝方法
①お供えする
②蝋燭(燈)に火を点ける
③お茶とお酒を捧げる
④お線香を付け、神を迎え、お守りくださるよう祈願する
⑤一杯目のお酒を飲む(参拝者が)
⑥擲筊(チーチャウ)し、神さまがご降臨されたか伺う
⑦もしすでに降臨されていれば、二杯目のお酒を飲む(参拝者が)
⑧もし願いごとがあるならば、内容を伝え、祈願し、返礼の際の内容も伝える
⑨お線香の1/3が燃えたら、両手で金紙を持ち、拝む
⑩金紙を燃やす
⑪三杯目のお酒を飲む(参拝者が)
⑫擲筊(チーチャウ)し、食事(お供えものを召し上がって)が終わったか尋ねる
⑬もし終わっていれば、お供えしたお酒を燃やし終わった金紙の上に撒く
⑭お供え物を下げる