濟公 好運を拝み出す
濟公は民間の信仰の中では誰もが良く知っている神様で、神話の中では活発で気ままでいて、突拍子もないことをする性格でいて、人の為にいつも楽しそうに話をします。濟公は忌み嫌うものなしの慈しみの心を持った親しみやすい神様であり、心置きなく交流を持つことが出来ると人々は信じています。それと同時に、医術に精通している濟公は人々の為に病を治し、人々の願いに応えることができるようにしてくれます。
濟公、俗名は李修縁、またの名を濟顛和尚、濟公活佛及び濟公禅師、中国浙江省臺州生まれ。神々の中では最強に個性の強いお方で、仏教の僧侶でありながら、戒律を守らず、飲酒をし、肉食でもあり、何でもありという方です。
南宋時代から濟公についての話が伝えられ始め、清朝になりそれまで伝えられていた物語を《濟公全傳》という一冊の本にまとめられました。ただ、このようにハッキリした形象が伝えられている神様のことについて、歴史家は南北朝の梁武帝時代にいた「寶誌禅師」を基に作り上げられた可能性があるとしています。
伝説によると、濟公は天臺臨海督促尉李文和の遠い孫にあたると言われています。一説によると子宝に恵まれなかったことに苦しんでいた濟公の母は昼夜神に祈っていたところ、ついにある晩、一尊の羅漢から五色の色をした一輪の蓮の花を受取、それを飲み込んでから間もなく懐妊し、出産したと言われています。濟公は18歳の年に両親とも亡くし、三年後には出家し、杭州霊隠寺へ行ったそうです。戒名は道濟、慧遠を師として仰いでいました。仏教の戒律を守らなかったため、仏門において、彼の行いは軽はずみで狂っている(顛狂)とされていたため、濟顛と呼ばれるようになりました。それでも、慧遠師匠は濟公が羅漢が人間界へ降りてきて戯れていることを早々に知っていたため、濟公の行いに対してそれ以上に制限することは無かったそうです。慧遠師匠が亡くなると、門下の他の人たちが濟公の所業を見過ごすことができなかったため、濟公は霊隠寺を離れたそうです。
濟公は民間において佛教を学んだだけでなく、医術にもたけていたため、人々から深く愛されていました。彼の慈しみ深い心と仁術に人々は感謝し、濟公活佛と呼んでいました。このように濟公の名声は遠いところまで伝わり、道濟が亡くなると、虎跑に埋葬され、人々は彼に対する恩義を残そうと、濟公塔院を建立しました。
口訣
お線香に火を点けたら、自身の名前、旧暦の生年月日と生まれた時間を表す干支、住所、心願を伝え、お線香をさします。そして、お酒をお供えし、金紙を燃やしたら、心を込めて、お願いをします。後日、決まってお礼参りをします。
各地の濟公廟にある濟公神像は切れた袈裟(僧衣)を着て、片手に破れた扇、片手に瓢箪の酒瓶を持って、表情は一般的な神様のように厳粛ではなく、生き生きとしています。一説によると、濟公神像は1体で3つの異なる表情があるとされ、左から見た時の表情は満面の笑みのように見えるので「春風満面」、右から見た時の表情は心配している様子に見えるので「愁眉苦臉」(しかめっ面)、正面から見た時の表情は半分泣いていて、半運笑っているように見えるので「啼笑皆非」(泣くに泣けず、笑うに笑えずということ)と呼ばれ、どれも濟公独特の性格にマッチしています。
参拝方法
①お供え物を置きます。
②蝋燭に火を点けます。
③お線香に火を点け、名前、住所、願い事をお伝えし、お線香をさします。
④一回目のお酒を捧げます。
⑤お線香が3分の1燃えたら、二回目のお酒を捧げます。
⑥お線香が半分燃えたら、三回目のお酒を捧げます。
⑦金紙を燃やします。
⑧爆竹を鳴らします。
⑨心を込めて、濟公師匠にお祈りを捧げ、願いがかなったら、後日必ず返礼をしに来ます。