天公生
旧暦1月9日は玉皇大帝(天公)の生誕祭
玉皇大帝、天公或は天公祖と別名を持つ。玉皇上帝は民間信仰の中で天界のリーダーであり、神界で最も高い位にいる神である。民間で伝わった話によると「玉皇上帝」は天子としてだけでなく、人間界の統括、儒教、道教、釈教の三教のほか、その他諸神仙である天神、地祇、人や鬼なども一手に管轄することから、玉皇上帝は萬霊にとってこの上なく尊い存在である。一月九日は玉帝の万寿の日とされており、民間では「天公生」と呼ぶ。
「天公生」の前夜、夜の十一時を過ぎると、斎戒沐浴(さいかいもくよく:心身を清めるため水を浴びる行の一種)し、誠意をもって参拝しに行き、三跪九叩頭の礼*1)(さんききゅうこうとうのれい)を行い玉皇上帝に自分(男性の場合は弟子と呼び、女性の場合は信女と呼ぶ)をご加護いただき、その一年が何事もスムーズに運ぶよう祈願します。
民間に伝わる神話の中で、玉帝の名は張堅と呼ばれ、一月九日生まれとされている。言い伝えによると、その昔、光厳妙楽国という国があり、その国の王である浄徳王と妃である宝月光は子宝に恵まれず、苦悩していた。道士を呼び祈祷を盛大に行っていたという。ある日の晩、妃は太上老君(老師が神格化した道教の不老長寿の最高神)と神々が赤い色をした赤子を抱きて降臨してきた夢を見た。夢の中で、妃は太上老君にその赤子を自分にくださるよう懇願したところ、太上老君は願いを聞き入れ、妃は大喜びしその赤子を受け取ったという。そして、その後、夢から覚めると、妃は身ごもっていたという。
一年後の一月九日、後に玉帝となる子が誕生しました。幼い頃より彼は聡明善良であり、仁愛に富み、慈悲深く育ちました。宮中の倉庫で保管していた財宝などを貧しい人々に分け与えたなどという逸話もあります。国王の死後、彼が王位を継承し、国を治めましたが、すぐに王位を大臣に譲り、自身は山中に身を隠し、修行の道を選びました。一億三千二百劫(劫‐非常に長い時間)が過ぎて、玉皇上帝となったとされています。
人々の間で玉帝は「天公」と呼ばれている。昔は神像ではなく、各家の大梁から天香炉を吊るし拝まれていました。玉皇上帝は神像で形どる以上に尊い存在であると人々は思っていたことから、崇高な存在であったことがわかる。
明朝以降に人々の中から玉皇上帝の神像を作り崇めようという運動が起こり、一般百姓誰もが玉皇上帝の姿を見ることが出来るようになったという。
三跪九叩頭の礼*1
1. 「跪」の号令で跪き、
2. 「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
3. 「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
4. 「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
5. 「起」の号令で起立する。
これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」こととなる。
天公生豆知識
豆知識1)
玉皇上帝はこの上ない最高権威を有する神であり、本来は具象的な姿や形を持たないため、人の言葉では言い表すことができません。そのため廟によってはむやみに玉皇上帝の容貌を像に掘ることができないず、「天公炉」(香炉)や「天公座」(神坐)を象徴として用いています。一般の廟で拝拝するときは、必ず外の空に向かって、ご挨拶をすることは、すなわち玉皇上帝に向かって挨拶することを意味するということを覚えておきましょう。
豆知識2)
運気が下がっている時、補運金(運を補うための金紙)を燃やし、神々に運気が上がるお手伝いをしてもらいますが、天界最高権威である玉皇上帝を頼る人が多いため、天公生の時には多くの人が補運金を自分で用意し参拝に訪れるようにすることをお勧めします。
豆知識3)
神々の生誕を祝うときに供える麺線(長い素麺の一種)は長寿や不運を取り除くという意味があり、同時に神のご加護があるため、拝み終わってからそれを食すことで、健康と平安がもたらされるとされています。ただし、神へのお供え物であったり、神の生誕祝いであったりするため、麺は必ず赤い紙(細長く棒状に切ったもの)で縛り、敬意を表しましょう。